世界の中心にいる私〜大切な人との向き合い方

<私>という存在を、どのようにして見つければいいのでしょうか?

みなさまの多くは無意識のうちに、相手の反応を基準にして、自分の存在のしかたを設定しているのではないでしょうか?

「相手が私のことを○○と言った」

「もっとこうしなきゃ、ダメじゃないか、と注意された」

「いつも○○さんって、△△なのね、と笑われた」

「この仕事上手ね、もっとやってくれる? と頼まれたから、これが私の適職に違いない」etc.

本当はそうではありません。・・・ということは、ご存知でしたか?

この前の記事で「WANTを追いかける」大切さをお話ししました。

それと同様のことになりますが

あなたのこれからの人生を創造するものは

今ここにいるあなたの命のほとばしりであり

それ以上でもそれ以外でもありません。

あなたの人生の中心にあるものは

今ここで息づく、あなたの精神と肉体のあるまま、です。

あなたは、自分の精神のありのままを肯定できていますか?

それをちゃんと受け止めて活かすための、暮らし方という名のレールを

自分のために敷いていますか?

自分の肉体の声に耳を傾けて、そのありのままを受け止め

精神や想念に比べたらはるかに小さな

肉体と行動と時間という限られた条件を慈しみ大切にし

一歩ずつ、ちょっとずつ、前進する生き方を

習慣にできていますか?

私は、自分の精神と肉体の等身大について

つぶさに調べ上げることを追いかけました。

特に、古代東洋思想にたどり着いた時に、大きな感銘を覚えました。

<精神と肉体の交点の上に、人間が立っている>という

哲学がそこにはありました。

そのためには

自分の精神を捕まえなくちゃ!

自分の肉体の声と親しまなくちゃ!

耳を澄ませることはもちろんですが

他人の言葉に過剰に耳を貸さない

他人の言葉に自分の存在価値を委ねない。

ということも大切にしました。

私の人生の中心は、私のためにあります。

逆を言えば

自分の人生の中心の上に立つ、今この瞬間の私にこそ

私の人生の全責任があります。

 日々反省することや、貴重な他者のおことばの中に成長のきっかけが存在することは確かです。

 次のステップとしては、人の言葉に耳を貸すことは、成熟した人間への階段の一つとして、大切なことではあります。

 しかし!大前提があります。

 私自身が、第一に、自分をしっかりと捕まえることができていること。

 精神的にも、肉体的にも。

 精神的な輪郭、肉体的な限界。

 みなさんは、ちゃんと把握できているでしょうか?

(*その具体的な方法論は、今後ちょっとずつアレコレとご紹介します)

 そのどちらもを合わせた時にある

「私」という認識に対し、豊かに慈愛の心を向けることはできているでしょうか?

(例えば、私の体に無理させすぎない、とか、私の精神の特殊性やユニークさを許すことができている、とか)

 その段階になって初めて、他人の言葉を謙虚に参照する価値は出てくるのです。

 それがわからないうちに、他人の言葉に自分の価値を預けると

 他人の言葉を鵜呑み・丸呑みにしているのに等しくなります。

 相手の性質や価値観を基準にしてしまうことで

 本来の自分の性質をそれとなく歪めることになります。

 無意識に、ちょっとずつ、ジリジリと・・・。

 自分がわからなくなっていきます。

 結末として、大きなストレスが、あなたの心身を蝕んでいきます。

 特に親密な関係の相手(例えば、恋人や伴侶、親友、親など)や、あなたが惹きつけたい(肯定されたい・承認されたい)と無意識に思っている人(例えば、上司や部下、友人、不特定多数の自分のファンなども含む)との間で、そのストレスが膨らむことはよくあることです。

 この方々に「あなたを精神的に委ねない(自己を明け渡しすぎない)」でください。

 これらの相手に対して「言わなくてもわかってくれるはず」となっていませんか? だとすると、大切な相手に対してストレスを感じているのではないでしょうか?

 これは専門用語で<投影同一化><自己同一視>と言われるところで、よくあることなのですが、だからこそ、気をつけてほしいのです。

  人は誰もが異なる小宇宙(世界)の中心者であり、あなたと100%そっくり同じ世界観の人というのはいないからです。

 ところが<投影同一化>や<自己同一視>を無意識に覚えやすい、親密感や期待感を抱いている相手には、知らぬ間に、自分にとって当たり前の反応を、相手に求めてしまうのです。

 背後で、自分と同等化あるいは結合化されたものであるものとみなしたい無意識が隠されているために起こります。

 基本路線としては「あなたが自分の気持ちや考え(価値観など含む)をお相手に表現しない限り、その方の世界観の枠組みの中で、あなたを誤解したまま認識するもの」と思っていると、健やかです。

 もしも「いやいや、あの人はよくわかってくれているよ」と感じるのであれば、それは本当に素晴らしい、千載一遇の関係性に恵まれていると言えます。

 一口に「相性がいいからだ」だけでは片付けられない豊かさが、そこにはあると私は思っています。

 ぜひお相手の方と、そのご縁に感謝をしてください。

 人は誰もが異なる小宇宙(世界)の中心者です。100%あなたとそっくり同じ世界観ではない、ということが前提にある、この3次元世界(現実世界)です。

 あなたに対して「寄り添う努力をしたいという熱い想い」があるときに、異なる小宇宙の持ち主であるあなたに対する理解を厭わず、自分の世界観を変えてもあなたを受け容れようとする姿勢があるときに、あなた側としては「私のことをあの人はわかってくれた!」「わかってくれている!」という喜びにあずかることができるものだからです。

 このような有り難いケースは、ただひたすら感謝の意を持ってお手合わせ、合掌して喜び噛み締めることとし、はじめからそうではないからといって嘆くことはありません。

 努力一つで、それは形作っていくことができます。

(このブログの意図の一つは、この方法論を具体化することでもあります)

 その件はまた具体的に後日アップしていくことにして、今日の課題は「自分の人生の中心者は自分だ!」ということにもっと胸を張っていただきたいということでありました。

 親密な相手に何か言われても、それはその人の世界観の中での最善を思ってのことであると思って、そこにあなた個人の好みの解釈を入れる必要はありません。むしろ、あなたの独自解釈を入れるとかえって関係が悪くなることを、多々観察してきました。

 耳を貸さずして、よし。自分から見て理解不能な言動がそこにあったとしても、「へー」と眺めるにとどめ、自分に向けられた重要な意図を持ったシグナルとして、自己関連づけにはまっていないか、よくよく気をつけてください。

 自分と関連づける時は、相手と面と向かってコミュニケーションすることのできる時間だけに絞り込んでおくのも、精神衛生上的に、よいかもしれませんね。

 長くなりましたので、今日はこの辺で。

 明日はまた今日ともっと違う日がやってきます!

 みなさま、ごきげんよう。

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